新居浜郷土史談会

新居浜の歴史

新居浜の古墳

 愛媛県の歴史団体、遺跡発行会のニュースレターの定期購読をしていますが、年に一回「遺跡」と言う学術誌を発行されています。その中の第52号に正岡睦夫さんが新居浜平野の古墳と言う題名で投稿されています。
 他の地域の古墳も正岡さんが記されていますが、昔の調査研究などの文献を紹介しています。もちろん新居浜の古墳もです。ですので、今では見ることの出来ない当時の様子が分かります。
 新居浜では、「金子山古墳」・「小山古墳」・「横山古墳群」・「正光寺山古墳」が掲載されています。
 今回小山古墳を紹介します。実はこの古墳中学生時代私が古墳好きになり、その話を友人に話したら、知っとるから行くで?と言うことになり見に行った古墳です。もう40年も前でしたが当時は、羨道の石積は残っていたものの、石室は土砂で埋まった状態でしたが、かろうじて石室の入口は見て取れました。遺跡52号を読むと昭和24年に松岡文一氏が書かれた報告書には古墳は現存しており、実測図も載っています。正岡氏の解説によると、【全体をアーチ形にいている。類例を探しているが同型のものを確認出来ない(愛媛県内では確認出来ないとの意味か?ブログ筆者注)北九州などに存在したアーチ形の天井部の系統になるのではないかとのこと。】
どうも珍しい形のようです。
 残念ながら開発のための土砂採取により崩されてしまい、現在は石が数個あるのみとなっているようです。全国で高度成長期に破壊された史跡の1個です。もう元には戻りませんが、先人が調査してくれたお陰で、資料として残った事だけが幸いでした。