新居浜郷土史談会

新居浜の歴史

タテマツル展が紹介されました。

 6月5日のブログで紹介しました喜代𠮷栄徳会員が研究された「郷土の不思議 タテマツル」展示会の記事が本日の愛媛新聞に掲載されました。

 

 タテマツル展の詳細などは先日書きましたので省略しますが、日曜に中野副会長と喜代𠮷氏宅へ伺った際、愛媛新聞の記者と展示会で取材を受けたとお話でした。

 今回は「読もう!」と言う小学生から中学生向けの記事に仕上げられています。漢字全てにフリガナを打ち、子供にも分かりやすいように説明されています。

歴史を子どもたちが感じてくれれば良いですね。

 

因みに伊曽乃神社の神主さんもこられたとかで、次の日は新居浜市の神主さんが展示会を見に来るそうで、「タテマツル」の新しい発見があると面白いですね。

皆さんも是非この機会にどうぞ。

新居浜駅の開業100年

 明後日6月21日に新居浜駅が開業して100年になるそうです。

大正10年に伊予西条駅まで開通した記念として、19・20日に記念行事が開かれています。昼過ぎに新居浜駅前を通りましたが、結構な賑わいでした。どうもテレビ愛媛の生中継もあったようです。

 詳しい内容は新居浜市役所のHP をご覧ください。

 

多喜浜・新居浜中萩伊予西条各駅に昔の写真がパネル展示されているそうで、駐車場が一杯そうなので、多喜浜駅に行ってみました。

流石です誰も居ません…ですのでじっくり写真を見ることが出来ました。

 

 多喜浜駅を思い出してみると、

売店があった。

・駅の西側にポイント切り替えの装置が並んでいた。

・お祭りに太鼓台が集合し舁き比べがあった。

・亀がポイントに挟まって信号が切り替わらなくなった。

・凧あげしていて、タコ糸が切れて構内に落ちた。(ヤバイ)

などありました。

 

 初めて特別急行「しおかぜ」が通ったのも鮮明に思い出せます。祖母の家が線路(当時は汽車みちと言ってました)から100mと近く、視界を遮る家もなく、いつも汽車を見ることが出来ましたが、初めてしおかぜが通る日はワクワクして待ってました。

当時の一番早い汽車は急行「いよ」でした。初めて見たしおかぜは当時の国鉄色でしたので、いよと変わらない気もしましたが、速かったような気もします。

 新居浜駅で郵便車の中を内緒で覗いたり、多喜浜駅で停車中の貨物に飛び乗ってみたりと、見つかると怒られるようなこともありました。

普通列車は木製で恐らく戦前の物で、手動ブレーキを回したり(もちろん使えなくしてありました)、最後尾の車両は扉が開いてて、そこから線路が続くのを見たり、切符も堅券でしたし、母の故郷(鳥取)に帰る際、確か津山線の駅にタブレットがあったとか、今は無くなってしまったことを考えると感慨深いですね。

 学生時代、宇高連絡船高松駅が見えると四国に帰ってきたなぁ~と言う旅愁も無くなりました。早くて便利にはなりましたが、旅愁を感じることが少なくなってきているのは残念ですね。

 記念パネル是非見に行ってください。

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多喜浜駅展示パネル

 

新居浜市の歴史購入しました。

  6月1日現在編纂の作業が進んでいる市史のガイドブックである「新居浜市の歴史」が発刊されました。

 

 A4サイズで2千円となっています。あかがねミュージアムや市史編纂室(市役所2階)で購入できます。

表紙は新居濱港住友工場全景(部分)の絵が載っていますが、有名な赤・白灯台はもちろん白石も描かれており、表紙だけでも引き込まれます。また帯に「その扉を開こう」とあります。かっこいいですね。

 

 中身ですが、29のコラムと写真・年表からとなります。

 自然・地形などが5編

 古代が2編

 中世が10編

 近世5編

 祭り1編

 近代が6編

 と中世に重点が置かれているように感じます。これは執筆者の偏りがあることがあることからかもしれません。

29コラム全てにカラー写真がふんだんに使われ、丁寧な解説が付けられています。しかしこの丁寧な解説ですが、一般市民には難解な専門用語が多く使われ説明が欲しいところでしょうか。入門編(市史編纂の方針では市史0号と言う立ち位置)とのことですのでもう少し簡単な内容であればと思いますが、私も会誌には難しい説明を投稿しているので人のことは言えませんね。

脱線しますが、注釈西條誌を書いた「矢野益治」氏は史談会会員に常々「中学校2年生が理解できる文章を書きなさい」と言われていました。肝に銘じておく必要がありますね。

 コラム29編ですが、欲を言えば「宝暦の一揆」と「新居大島」も入れて欲しかったことでしょうか。あと協力一覧に史談会の名前が無いところでしょうか。確かに問い合わせもありませんでした。協力したかったですね。

 

 この新型コロナウイルス禍の中、史料集めや執筆者同士の会議も出来ず大変苦労されたものと思います。(上から目線ではないですよ)

是非市民の皆様もお買い上げ頂ければ、新居浜への愛着が湧きますよ。

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新居浜市の歴史

 

展示会案内「郷土の不思議」

 コロナウイルス流行のため延期されておりました、会員の喜代𠮷榮徳氏が研究されている「タテマツル」についての展示会が西条市東予郷土館 第1展示室で始まりました。

7月23日まで 10時~18時まで見学できます。無料です。

休館日は月曜日と月末末日となりますのでお気をつけください。

 

 お祭りになると神社や参道、集落などに幟(のぼり)旗が立ち、楽しい祭りが来るとドキドキさせる風景があちこちで見られます。この幟旗に書かれている5文字、何を書いているかわかりません。デザインか何かかと思う方もおられるでしょう。私も知らなかったのですが、これは変体仮名で「たてまつる」と書いてあります。

例えば「當天萬都留」などです。これが崩されて書かれているので難しい限りです。

私も古文書講座で教えてもらうまで読めませんでしたし、今でも読めない字体もあります。この「たてまつる」ですが、普通は「奉」1文字で表しますが、西条市を中心に東予地方でこのように5文字で書かれていることが多いそうです。

 

 この5文字の「たてまつる」は幟旗だけではなく、常夜灯や幟旗を支える石などにも刻まれています。

 なぜこの地方だけにこのような風習があるのでしょうか。まさにこの展示会のテーマである「郷土の不思議」ですね。

 今回東予郷土館の学芸員さんが素敵なポスターを作成し(写真載せますね。)喜代𠮷氏が拓本を採ったものや幟旗を飾るなど興味をそそる展示になっておりますので、是非コロナウイルス対策を取って行ってみてください。

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たてまつる展示会ポスター

 

ブログ3年経ちました。(会員募集中)

 新居浜郷土史談会のブログを開設して3年が経ちました。

今日まで215本のブログを書いておりました。あまり気にしていませんので

ちょっと驚きました。

単純計算すると5日に1本くらいでしょうか。

 

 ブログでは史談会の活動や新居浜市周辺などの歴史情報などを掲載し、論文など

学術的なものは載せていません。

もっと詳しい歴史内容を期待している方には申し訳ありません。

 

現在コロナウイルスのせいで活動が低調ですが、早く皆さんと色々お話したいですね。

405号の定例会も延期のままですが、あと2か月もすれば406号の準備があります。会員の方で原稿提出の予定があれば、中野副会長へご連絡ください。

 

 【会員募集のおしらせ】

・正会員3千円/年 投稿が出来ます。

・誌友会員 千円/年(会誌2冊)

・賛助会員 1万円/年 会の運営を助けて頂ける企業・個人を募集しています。

 新居浜郷土史談会は学術団体ではありません。素人集団ですので

 お気軽にどうぞ。

 

 ご連絡は以下のメールアドレスでお願いします。

 biba@dokidoki.ne.jp

 

藤田氏史跡考

 先日松山の藤田さんより昭和53年9月に個人の方が発行した「藤田氏史跡考」と言う小冊子を頂戴しました。

藤田さんは岡崎城主藤田氏の末裔とのことです。新居浜にも多くの藤田姓の方が多いのですが、松山の藤田さんは天正の陣後、四国中央市土居町上野に移り住んだ藤田氏の流れだそうです。

 

 祖先を祀る子守宮や有名な熊谷桜など藤田氏の史跡があります。戦国時代のお墓と思われる物もあるとか。冊子にもそれらしい写真もあります。是非一度史跡を見に行きたいと考えています。

 

 古い史談会誌で藤田氏を調べた論考を見ましたが、様々な家系図・言い伝えがあり、やはり家系は難しいなと率直に思いました。史談会にもこれまで家系についての問い合わせがありましたが、江戸初期以前は不明としか言いようがありません。

一度新居浜にある古い家系図を一堂に会したい気もしますが。。。

 新居浜は太平洋戦争でほとんど戦禍に遭いませんでしたが、中世古文書類が残っていません。天正の陣で焼けたのか、近世の火災・天災で無くなったのか。どこかに古い古文書・家系図無いでしょうかねぇ~

会う方にいつも聞くのですが、行き当たりません。

お持ちの方居られましたらご一報を!中近世問いませんので。

郷土史談17号

 四国が異例の早さで梅雨入りしました。となると湿度も上がって熱中症の確率も上昇。ましてや新型コロナウイルスである。さらに虫&ヘビの季節。会社の女子トイレにムカデが出たとのことで、さっそく熱湯除去。

 饅頭怖いではありませんが、コロナウイルス怖い・ヘビ怖いで外の調査もお休みです。しかし中野副会長は誰も居ない寺社境内で狛犬調査との由。次号か次々号には報告書が来るものと思われる。「副会長、石造物には色々生き物がいまっせ!」まぁ人間より怖いものはないのでしょうが。乞うご期待です。

 

 と言うことで(なんのことで?)引きこもって所蔵の会誌を見ています。私の所蔵している会誌の一番古いものが17号になります。昭和51年12月発行。初代会長であった真鍋充親氏の1年間を振り返るが冒頭を飾る。新居浜郷土史談会が発足して2年目の年末です。

 会誌内容は、白石正雄氏の新居浜市の供養塔調査 山内富喜子氏の隆徳寺の巻物、鈴木カネ氏西山興隆寺市外研修記、矢野益治氏の西条誌抄注 沢津村 などです。

 鈴木カネ氏はこのあと「土佐物語」を翻訳して誌上に掲載されることになりますが、その労力はいかほどでありましたでしょうか。古文書講座でも資料として使用しました。古文書講座でどなたかに「鈴木カネ先生はお元気でしょうか?」と尋ねられましたが、私が入会した時にはご高齢で東京?のご子息の家に行っているとお伺いしており、その後は分かりません。お会いしたかった。

 矢野益治氏はご存じの通り、この後誌面で発表した原稿を手直しし「注釈西條誌」を史談会から出されています。今も史談会にこの本を欲しいと年数回問い合わせがありますが、すでに絶版で会にも保存用が3冊あるのみとなっております。可能なら増版したいところですが、矢野氏もお亡くなりになり、今は印刷所もなく、原版も散逸していると考えられます。残念です。

 

 この17号には16号までの目録も掲載されています。先年お亡くなりになった藤田敏雄氏が2号に掲載されています。藤田氏とは数回お話しましたが創立メンバーが居なくなったことは寂しさを覚えます。同じ号には新居浜俳諧史を飾る本田三嶺子・村尾冬揚子の両氏が投稿しています。

 

 40年前に出された17号の目録・会員名簿を見ながら、この中で何人の方がご存命なのかと、このブログを書きながらしんみりしてきました。物悲しい11月の秋にでも書けばよかったかと思いながら筆をおきます。