新居浜郷土史談会

新居浜の歴史

水害記念之碑

 先般西日本、特に広島県岡山県そして郷土である愛媛県を豪雨が襲った。

西日本豪雨」である。

瀬戸内沿岸であるこの3県は瀬戸内式気候により、降雨量が少ない地域にも係わらずこのような大被害が出た。幸い新居浜では被害も無かったが、亡くなられた方・被災した方々にはお見舞い申し上げる次第です。

新居浜でも平成16年豪雨では数人の犠牲者・床上浸水など記憶に新しい。私も退勤中原付が水没するなど身近に感じる水害であった。

 国領川に架かる城下橋西側交差点を北に15mほど下がると、1本の記念碑がある。

「水害記念之碑」である。明治32年(1899)8月28日に当地方を台風が通過した際、別子銅山にすさまじい豪雨が降り注いだ。そのため土石流などが発生し、500人以上の死者が出た。中には香川県まで流れ着いた死者もいたという。

 この水害記念碑は別子山に降った大雨が国領川を下った際、記念碑があるあたりの堤が切れ、庄内村・金子村に流れ込み、多数の死者や家屋の流失・田畑の荒廃を招いた。

この痛ましい災害を忘れないため、金子村の住民が建立したものである。

 水害記念之碑を見る人が、いつ来るともしれぬ災害を忘れないためにも教訓にしたいものです。

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