天正の陣関係
予陽河野家譜は①新居郡高峠城主石河備中守通清が天文年中に轆(ろく)城主大西入道同誉の仲介で阿波三好氏と好(よしみ)を通わした。②石河備中守通清は弘治二丙辰年に阿州三好氏を娶ると記しています。これに対し澄水記は弘治二年宇摩郡轟城の大西道譽の才…
久しぶりです。香箱の夢です。 今バラエティー番組である鉄腕ダッシュ見てましたら、兵庫県宍粟市千種で 様々な催しをしてました。 宍粟市千種?これはまさかの・・・ そう史談会所蔵の「金子元宅佩刀」が造られたところです。 佩刀には播州千種と刻まれてい…
『南海治乱記』に次の描写があります。「小早川隆景と吉川元長は新居郡天満浦に陣を取り、新居郡住人金子伝兵衛が立て籠った高尾城を攻めた。」そして高尾落城後、「新居郡の石川刑部は大身で城三か所を持つ。(略)居城並びに帆柱城、柴尾城の全てを明け渡…
最初に筆者が最近驚いた話をしたいと思います。先に記した様に予陽本・澄水記、実記には真鍋越後之介の子の孫九郎・孫十郎兄弟が登場します。予陽本は「各力戦死す」と書いているのですが澄水記と実記は孫十郎が行方知らずになったと書いています。 筆者は兄…
前稿で述べた天正陣実記での登場者を以下に記しました。数字(①~55)は予陽本・澄水記登場者番号。数字(56~)は実記登場者番号 です。番号に意味は有りません。( )内は澄水記での記載名。高尾城:『金子』勢:①金子備後守(元家)元宅、②真鍋(佐渡守)…
16世紀の新居郡を語る史書として「澄水記」と共に良く知られているものに「天正陣実記」があります。実記は高尾・高峠両城が落城する迄の経緯に就いては澄水記を引用していますが両城落城後について澄水記の記さない金子山・生子山・岡崎・宇高での小早川勢…
A書が予陽河野家譜(予陽本)でB書が澄水記です。下表は登場人数の比較をしたものです。 (単位:人) 書 名 高尾城 高峠城 合計 予陽河野家譜 32 11 43 澄水記 33 22 55 差 異 1 11 12 以上の比較からは、①澄水記は予陽本をそのまま引用した上で、新居郡東…
本稿も引き続き澄水記と予陽本の関係についてです。今回取り上げるのは天正の陣で戦いに加わった人物名です。 A書とB書、どっちがどっちだかわかるでしょうか。A書高尾城:①金子備後守元家、②真鍋佐渡守、③野下右衛門佐、④加藤彦右衛門、⑤麓城主松木三河守、…
澄水記は石川氏が伊予守、備中守通清、虎竹の三代が続いたとしています。その内、備中守子息虎竹は天正十三年(1585年)に(数えで)八歳だとしているので虎竹は天正六年(1578年)の生まれになります。そして澄水記は備中守通清が天文元年(153…
前回弾正少輔通直と記しましたが正しくは弾正少弼通直でした。訂正します。今回は予陽本と澄水記の関係です。予陽本は石川氏の重臣であった近藤長門守が前伊予守通久の婿であり、その嫡子近藤彦太郎は石川備中守通清の甥であると記しています。換言すれば石…
新居郡(旧新居浜市と旧西条市を併せた地域)の戦国時代を語る史書として「予陽河野家譜」(以下予陽本)と「澄水記」が良く知られ、従来地域史を語る中で多く引用されて来ています。予陽本には河野通直母が伊予河野氏四百年の歴史を土居入道・今岡陽向軒に…
前回金子備後守馬塚を紹介した際、八幡宮跡の写真をアップしましたが 今回はその八幡宮と箱根権現について書きます。 まずはその八幡宮跡(金子備後守馬塚と思ってた)写真を再掲載します。 上原 八幡宮跡 曽我部会員に教えてもらった内容を要約して書いてい…
天正の陣関係について注釈西條誌を読んでいると、「金子備後守の馬を埋めた 御馬塚が上原の川端と言う所にある」と書いてあります。 常々これがどこなのか不思議で、上原付近をウロウロ(史跡調査なので不審者 ではありませんが、傍からみれば不審者。)した…
〇そして丁度その時に土佐援兵が出撃して来たので両者の間で戦いになり秀包 隊が花房新兵衛以下土佐兵の大半を討取り、残りを高尾城内に追いやったとい う事でしょう。 桂孫次郎、白井忠助は共に秀包の重臣であった桂民部、白井兵庫の縁者だった のではと推…
子供に恵まれなかった小早川隆景の養子となった毛利元就の九男で小早川秀 包(ひでかね)という人物がいました。秀包は天正十年以降毛利家の人質と して秀吉の下に居り秀吉に可愛いがられていました。天正十三年秀包は18 歳でしたが養父隆景の下で戦い方を…
前稿では千葉家文書の現代語訳を投稿しましたが、本稿では同文書を理解する上で筆者が必要と思うポイントを述べたいと思います。第一は祐海法印が修験者であった事です。修験道には天台宗系の本山派と真言宗系の当山派があります。同家文書には祐海が奈良天…
現在中村にある白山神社は明治の神仏分離令の前は白山大権現別当水谷寺でした。水谷寺は、今はありません。その由緒を記した千葉家文書を現代語に訳してみました。水谷寺中興祐海法印の生国は常陸国、親は小田城主天野氏であるが、天文第六丁酉年(1537…
武士は仮名(通称)と実名の名前を持ち、普段は仮名を使用したと 言われています。一例を挙げると 西郷吉之助隆盛の吉之助が仮名、隆盛は実名で、仲間内では吉之助と呼ばれていた という具合です。金子備後守元宅というと 地元で良く知られた人物ですが 元宅…
昨年にも書きましたが、明智家の桔梗紋です。 昨日法事で慈眼寺に行き法要を行った際、ふと見ると桔梗紋 実物を見るのは初めてでした。 法要後住職に写真を撮っても良いとの許可を貰って撮ったのが下の写真です。 もっとうまく撮れんかったん?すみませんカ…
先日NHKで放送された「日本人のおなまぇ」ですが、麒麟がくる関係の名字特集でした。見られましたでしょうか? 実は新居浜郷土史談会にこのブログを通じて連絡が昨年秋にありました。新居浜市内には明智姓が数件あり(大洲市長浜にも存在します)、また明…
現在展示会に向けて色々準備していますが、ここであるホームページを紹介します。 「金子備後守元宅と天正の陣」です。インターネットのホームページには色々情報が掲載されていますが、大体の方は自分の興味があるものを検索するでしょう。私も郷土関係をよ…
新居浜史談会誌402号の内容は、写真を見て頂きたいですが、今回は「四国戦国時代の武将の夢と生涯」と題し、天正陣と金子備後守元宅と言う副題で内容の半分を占めています。 特集で特筆すべき点は最初に掲載している新発見「伝 金子備後守元宅佩刀」考です。…
このブログでも紹介していますが、新居浜市内には多くのお塚さんが在ります。その多くは天正陣で亡くなった方を供養する言い伝えが殆どですが、亡くなった方のお名前は伝わっていません。これまで知っている限りでは、正枝に在った「青木某」が戦いの最中オ…