2024-01-01から1年間の記事一覧
金子城探訪も最終回です。 これまで曲輪など紹介しましたが、今回は金子氏の屋敷 です。現在慈眼寺のある場所が伝金子氏屋敷と言われています。 土塁などは残っていませんが、慈眼寺の東側に広い道路があり あるいは空堀でもあった可能性や北側駐車場へはや…
金子城の本丸北東、金網から下を覗くと、雑草に覆われて いるが通路のように見える。(写真空色部分) 幅5mくらいではあるが堀切です。 堀切(青色)と尾根曲輪群(紫色)(国土地理院航空写真 昭和37年) 本丸・堀切を超えた尾根には数段の曲輪があります…
本丸(第一曲輪)の北東金網越しに2の丸を見ると 東側の切岸が見えます。今は草木が生えて分かりづらいですが、 20年前は斜面が急なのが良く見えていた。 2の丸切岸 この切岸の急斜面ですが、西側は自然斜面のため、公園化の 時の工事により作られた可能…
前回二の丸(二曲輪)について書きましたが、その際掲載した 写真の奥に展望台が写っていますが、その写真手前に堀切が在った 可能性を史談会会長から指摘されている。(2年前探針棒調査) 先端曲輪 二の丸北側から下る階段がありますが、そこを降りると写…
※この記事の調査は2021年頃のものです。 堀切を超えて主郭部ですが、四角形をした本丸(一の曲輪)に なります。東屋や前の記事の写真にあるような、史談会が建てた 金子城跡の標柱があります。 50年ほど前にここへ天守閣を建設する計画が立ち上がり、…
※記事の内容は2021年頃に調査したものです。 最新ではありません。 前回の記事にも出た駐車場を北へ行きます。上がりきった所からが 主要部になります。古地図や愛媛県の調査ではここに三の曲輪(3の丸)が あったように記されていますが、現在では見当…
頂上にある駐車場から南へ行くと、落城する際姫様が逃げたと される衣笠山があります。北へ行くと城跡になります。 愛媛県の城郭研究の第一人者である日和佐氏は、この駐車場の 東西に竪堀があると報告されていますが、現在では見当たりませ ん。よく見つけ…
金子城は新居浜市の西部にある南北へ延びる山の北端にある 中世の山城です。金子城の城主金子氏は鎌倉時代、関東から移り 住み、織豊期、こちらで言う豊臣秀吉による四国攻めである 「天正の陣」で落城するまでありました。 金子城遠景 写真でわかるように、…
過日松山城の斜面が大雨により崩壊し、3名がお亡くなりになりました。 ニュースでは前年に道路にひび割れがあり、補修を開始したばかりとのこと でした。国の史跡のため文化庁の許可も必要で、取り掛かりまで1年ほど 要したと報道されていまし、先般石垣な…
10月1日に新居浜郷土史談会会誌 新居浜史談第412号が 発刊されました。新居浜市内の明屋書店および西条市の マスヤ書店で販売しています。 目次 《特別寄稿》父、鶴田義行 オリンピック 平泳200m金メダリスト が残したもの ・・・・・・高木 満智 新居…
前回金子城一の曲輪(本丸)に史談会が建てた標柱を紹介 しましたが、今回は同じ金子城にある「天正の陣滝の宮口」 標柱です。 この標柱は滝の宮公園入口のお堂境内にあります。 ここには滝の宮砦が在ったと伝えられており、天正の陣 では、激しい戦いがあっ…
病気で記事が少なくすみません。 9月25日の夜、NHKの歴史探偵で四国の覇者「長宗我部元親」が取り上げられ ました。 その際郷土の武将である金子元宅が出て、更に金子城も映像が映りました。 説明では金子氏を通して河野氏を長宗我部氏陣営に引き込むのよ…
遅くなりました。 新居浜史談会会誌411号が4月に発行されました。 愛媛県・新居浜磯浦捕虜収容所・・・・・・江澤 誠,《特別寄稿》 「新居浜市史調査報告書 金子文書」の調査(一)・・・岩佐 雅隆 新居浜監視哨の記録・・・・・・多田 仁 広瀬系圖の人…