先日市外にあるお寺さんから、おすそ分けで新宮茶を頂きました。
新宮茶は脇さんが昭和に栽培や研究を始め、今のような茶所になったようですが
それよりも古いものが四国には残されています。
それが後発酵茶と呼ばれるもので、阿波番(晩)茶・土佐碁石茶・そして西条
の石鎚黒茶です。これらは山間部などで自家用として作られていたようですが
阿波番茶以外は廃れてしまいそうになったものを、現在技術を伝承して続いて
います。
喜代𠮷会員が発行している「四国遍路研究12号」には巡礼者へお茶を振舞った
記録が書かれています。
江戸時代お茶は高級品だったと聞いています。(江戸でも裕福な階級のみで、普通は白湯?時代小説に書いていたので、真偽はご勘弁を)
そんな中にあって、巡礼者へ高級なお茶を振舞うのはお接待文化や弘法大師信仰
のせいかもしれませんが、お茶が比較的庶民にも浸透していたのかもしれませんね。
12号にお茶の種類は分からないと書かれています。上記の自家製発酵茶だった
のでしょうか。今新居浜では見かけませんが、40年前くらいまでは敷地に自家用
で飲むために、生垣としてお茶の木を植えていた家を記憶しています。(祖母の家
もそうでした)
そのような自家製茶であれば、一軒ずつ違った味わいだったのでしょうね。
この古くからある西条石鎚黒茶などの後発酵茶は四国に多く残され、他の地域にはほとんど残っていないようです。この後発酵茶がなぜ四国に伝わったのか(空海さんのおかげ?)謎は尽きませんし、何故四国だけ残ったのか(富山にも製法が違うものがあります)のも不思議です。
まぁある意味田舎だったんでしょうね。そのため途絶えた風習なんかも四国には
色々あると聞いたことがありますし。田舎で良かった良かった。