ちょっと調べものがあり、家族に時間を貰って大生院の正法寺近辺に行ってきました。
畑の真ん中に江戸期のお墓が有りましたので拝見。新居浜には珍しい板碑型のお墓。この辺りでよく採れる緑色片岩を用いていますが、三角型は成形したのか自然なのか不明です。宝永銘が残っていました。
ふと見るとその奥に塚がありましたのでこれまた拝見。その手前に水路の股(分岐させる場所)があり記念碑。水路の改修記念のようですが「鮭川」とあります。
鮭川!記憶が蘇りました。もう20年以上くらい前でしょうか。西条市にいる歴史仲間の黒川さんとウロウロしていて、まだ史談会に入会していない時でした。西条市の郷土史家であった故菅哲彦氏のお宅で「石川虎胤感状」を拝見させて頂きましたが、その時菅氏より「あんた鮭川分水問題を研究してみんか?」と言われました。その時は分水に興味も知識もありませんでしたので笑ってごまかしましたが、今回分水股を見るまで鮭川がどこにあるのかも知らず過ごしていましたが、今分かりました!!(遅いわと浄土の菅氏に突っ込まれているでしょう)
と言ってもこの股を見てネットで読んだ程度の知識ですので、このブログでは書けませんが、言い伝えでは小河城の姫が嫁ぐ際や庄屋さんの嫁入りでの化粧水が語られるように、昔からあった水問題が近年まで続いていたと分かり勉強になりました。