新居浜郷土史談会

新居浜の歴史

台風14号接近中 打ち合わせも中止

 えらい大きい台風が接近中ですね。

 最近温暖化か何かで、四国へ接近・上陸することが減った感じがしてましたが

 明日には四国へかなり近づくようです。

 私も自宅周辺の飛びそうな物を仕舞いました。

 

 防災士で会員の菅さん・中野さんもこれまで災害の警鐘を鳴らしていました。

 ブログでも紹介しましたが、先々週には菅さんの講演会もありました。

 

 今後ブログでも紹介しますが、今度広島県三原市より研修旅行で天正の陣

 関係史跡に来られると言うことで、新居浜史談会に協力要請がありました。

 本当は今日下見を兼ねて来られる予定でしたが延期となりました。

 

 被害がありませんように。

土釜が出てきました。遅くなりました。

   昨年1月にあかがねミュージアムで行いました「四国戦国物語」展示会で

  金子氏屋敷(現在の慈眼寺)南から土釜の欠片が出土し、それも目玉として

  案内もしておりました・・・・

 

   しか~し当時所有者の会長から「どこかには間違いなくあるのだが、判らん。

  でも出てくるだろう」との言質でした。会長もあらゆる所を探したようですが

  結局当日まで出ず。SNSでも出土品出てなくて残念との投稿もありました。

 

   で、すっかり忘れた今日この頃、会長から「土釜が見つかった」との連絡が

  副会長と昨日拝見しました。発見場所ですが机の下だったそうです。

  燈台下暗しを実践されたようです。

   お待たせしました。1年半以上申し訳ございません。

 

   下の写真見て下さい。須恵質で外側が黒くなっています。

  破片は4つで、3つが土釜上部のもので1つが土釜の足です。この足部が重要

  でしょう。この部品で土釜と推定できます。

  (写真は2つの欠片と足部。ですが足部は上下さかさま)

   これとは別に湯築城出土のかわらけ(完形品)も出てきたそうです。

 

  展示会で二つとも展示したかったです。当日は私の所有する高峠城の備前焼

  破片と湯築城のかわらけ片(ほんとうに小さい)

   今なら土釜・かわらけ・備前焼破片とともに岡崎城出土破片や湯築城瓦片も

  あるんですよね。またの機会をお楽しみに。

金子屋敷近辺出土土釜片



会員講演会情報【9/6】

  先日1日は関東大震災のあった防災の日でした。また台風が来やすい二百十日前後

 (今年ピッタリかどうか調べていません)でもあります。

  台風11号も接近中ですが、会員の講演会情報です。

 

  タイトルもズバリ「自然災害伝承碑 ~先人が伝える災害の教訓~」です。

 会誌407号に掲載していましたが、会員の菅秀臣氏が会誌の内容やその他にも

 付け加えた内容でお話します。

  菅氏は「新居浜防災士ネットワーク」の役員をされており(中野副会長も防災士

 です)台風災害が起こりやすいこの時期に行うことになりました。

 

  日 時:9月6日(火曜)19時から

  場 所:多喜浜公民館

 

 ただ台風11号が丁度最接近しておりますので、当日風雨がひどい場合は中止も

考えられますし、あったとしても無理はくれぐれもしないようにお願いします。

※掲載時会誌406号としていました。407号の間違いでした。

 

四国はお茶所?

 先日市外にあるお寺さんから、おすそ分けで新宮茶を頂きました。

新宮茶は脇さんが昭和に栽培や研究を始め、今のような茶所になったようですが

それよりも古いものが四国には残されています。

 それが後発酵茶と呼ばれるもので、阿波番(晩)茶・土佐碁石茶・そして西条

の石鎚黒茶です。これらは山間部などで自家用として作られていたようですが

阿波番茶以外は廃れてしまいそうになったものを、現在技術を伝承して続いて

います。

 

 喜代𠮷会員が発行している「四国遍路研究12号」には巡礼者へお茶を振舞った

記録が書かれています。

江戸時代お茶は高級品だったと聞いています。(江戸でも裕福な階級のみで、普通は白湯?時代小説に書いていたので、真偽はご勘弁を)

そんな中にあって、巡礼者へ高級なお茶を振舞うのはお接待文化や弘法大師信仰

のせいかもしれませんが、お茶が比較的庶民にも浸透していたのかもしれませんね。

 

 12号にお茶の種類は分からないと書かれています。上記の自家製発酵茶だった

のでしょうか。今新居浜では見かけませんが、40年前くらいまでは敷地に自家用

で飲むために、生垣としてお茶の木を植えていた家を記憶しています。(祖母の家

もそうでした)

そのような自家製茶であれば、一軒ずつ違った味わいだったのでしょうね。

 

 この古くからある西条石鎚黒茶などの後発酵茶は四国に多く残され、他の地域にはほとんど残っていないようです。この後発酵茶がなぜ四国に伝わったのか(空海さんのおかげ?)謎は尽きませんし、何故四国だけ残ったのか(富山にも製法が違うものがあります)のも不思議です。

 まぁある意味田舎だったんでしょうね。そのため途絶えた風習なんかも四国には

色々あると聞いたことがありますし。田舎で良かった良かった。

408号編集中です。

 どうやら暑さの峠も過ぎたような気がしますが、愛媛ではコロナの峠は

まだまだのようです。うつりませんように。

 

 秋の気配を感じる季節になれば、そう新居浜史談408号の発刊準備です。

現在原稿を印刷所へ提出し、ゲラ刷りが出来ているようですが、会長の原稿は

お孫さんが夏休み来ているらしく、後半がまだ持ち込まれていないとか。

お孫さんが帰れば印刷所へ提出してもらえるようですが、疲れが出なければ

良いですね。子どもは元気ですから。

 

 408号は天正の陣関係が2編・小松一柳関係・石造物と聞いています。

刷り上がりまで約1か月お待ちくださいませ。

お盆ですね。でも徳島城②です。

 お盆の時期になると、色々な弔い行事があります。これまで真言宗曹洞宗

浄土真宗と参加しましたが、宗派ににより色々違うものですね。

若いころには辛かった法事も最近お経を聞く・読むことで心が落ちつくことが

出来ます。いやいや歳をとったものです。

 

 さてまったくお盆に関係のない、先日アップした徳島城の②についてです。

城内に博物館があり、蜂須賀家の古文書もあり、じっくり読めるかどうか試したい

のですが、なんせコンタクトレンズを入れても目が悪く、小さくてガラス越しなので

読めないのが残念。写真撮影禁止なので館内の写真はありませんが、庭園に寄付され

た物が数点あり、目を惹いたのが下の写真2点です。

 

 一つは豊島石(香川県豊島近辺で採れる凝灰角礫岩)の「防火用水入れ」です。

これまで豊島石で出来た石造物は「五輪塔・宝篋印塔・灯篭・らんとう・狛犬の柱

(一宮神社にあり。珍しい)」ですが、防火水槽は初めてです。前には家紋らしき

ものもあります。豊島石は水に弱いので(石と石の間が粗く、浸透しやすい)防火

水槽には向かないと思うのですが・・・そのためか内側にモルタル様の白い部分が

見えます。

 

 もう一つが織部灯篭です。古田織部がデザインしたとも言われており、十字架

にも見えることから「キリシタン灯篭」とも称されるものです。下には仏像か

キリストか分かりませんが、像が彫られています。真偽はどうなんでしょうね。

 

 暑い暑いと言いながらも、日の入りは18時台になりましたし、秋の虫も鳴いて

います。もう少し頑張りましょうか。しかし夏場のマスク生活は大変ですね。

豊島石製防火水槽

織部灯篭(これは花崗岩製)