西條藩の境界石
「そう言えば西條藩の境界石はあの場所にあるんかいの~」
と言う一言から探してきました。ちょっとは地元歴史の会らしく何か報告くらいしないと「このブログの目的は何かいの~?」と忘れかねませんので、少しばかり書きますね。
この話の中で出てきた境界石(領界石とも)は江戸時代西條藩と小松藩の境界に建てられていた石柱です。旧国道11号線(讃岐街道)中萩小学校北西にある黒岩橋東たもとに建てられていた物で「従是東 西條領」(これより東 西条領と読みます)と彫られており、東川を堺として東側の中村は西條領、西側は小松領萩生村を示すための物です。
明治維新以降不要になったものを中村庄屋が持ち帰って庭に立てて保管していたようですが、先年国道11号線バイパスを通す工事があり、旧庄屋屋敷が丁度その工事に掛かっていました。
で、工事が進んだ今頃その存在を雑談の中で思い出したのが冒頭の一言です。
確かにバイパス工事が進んで昔の面影は無くなっており、その存在が危ぶまれます。
慌てて探しに行きました。
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有りました!元々の位置に。これです。
10m工事が北に寄っていたら撤去されていたかもしれません。
家の方は居られませんでしたが、庭に忘れられたようにありましたので、恐らく近所の方くらいしか知る人もいないかもしれません。
可能なら元在った場所近辺かその対岸の公民館にでも移築出来れば良いのでしょうが…