新居浜郷土史談会

新居浜の歴史

松山市考古館(附講演会)

 もう2か月も前の話で恐縮ですが、1月19日に松山市考古館へ行ってまいりました。このブログでも紹介しましたが、あかがねミュージアムで中国青銅器展講演会で、その時に講師をされた愛媛大学吉田広先生の講演会として、松山市考古館でも講演会が行われました。題して「私たちの、平形銅剣~平形銅剣からみた道後城北の弥生社会~」です。

 ちょうどその日野暮用で松山に行く用事があり、丁度15時まで時間がありましたので、この講演会と項を改めますが、「湯築(月)城」に行きました。

今回は松山市考古館と講演会について書きます。

 まずこの松山市考古館ですが、松山市の地理に疎いため車のナビ任せで行きましたが、とんでもないところに案内されてしまい(考古館の裏手でした)、近所の方に聞いてもよく分からないが、あっちに何かあったような?とのお話でしたので、そちら方面に行くと看板がありました。天気も冬にしては上天気でしたので、駐車場から少し歩きましたが、散歩日和で何よりでした。(隣に大きな池があります)

 考古館の展示を見るには入場料が必要となりますが、うまい具合に「忽那諸島の歴史を訪ねて」と言う松山市教育委員会が発行している資料をもらえるとのことでしたので、1冊Get!。60ページもあって写真付き。入場料以上の価値があります。在庫限りなので、無料とは言え史談会の方に数冊もらうほどの度胸はなく、(会員の中でもおしとやかな部類になります。)差し上げることが出来ず会員皆さんすみません。今なら考古館でまだ頂戴できると思います。

 さて講演会ですが、平型銅剣の位置づけから始まりました。九州地方の銅戈(どうか)・銅矛文化と近畿地方の銅鐸文化の間に挟まれた瀬戸内沿岸でこの平形銅剣が出土したため、当時の研究者は平形銅剣の位置づけに迷ったようです。時代としても弥生時代後期と発表されたりしておりますが、吉田先生は弥生時代中期とみているようです。

 平形銅剣の形も変遷があり、初期の銅剣から区画文様・刃部の直線化・刃の厚さが薄くなったり、突起の肥大化により平形銅剣の形が出来たようです。また銅剣の金属成分(銅とすずの混合品)にも変化が現れ、銅の成分が多くなり、ずずが減っているようです。(すずは高価)平形銅剣は新しい10円硬貨(銅95%・亜鉛3~4%・すず1~2%)のような色目であったとされます。

 平形銅剣は香川県愛媛県に多く出土していますが、現在愛媛大学のある城北(文京遺跡)でまとめて出土しました。これ以降後半の話ですが、残念ながら用事の時間がきてしまいましたので、泣く泣く退館してきました。

 考古館に常設展示されている遺物もざっと目を通す程度になってしまい、次回は余裕をもって見たいと思います。