新居浜郷土史談会

新居浜の歴史

12月10日定例会(古文書上級者編)

  今週12月10日に新居浜郷土史談会定例会を13時半~15時半、

 金栄公民館で行います。

 

  今回はいよいよ上級者向けで古文書講座も併せて開催します。

 一柳武功記を資料として使う予定です。

 古文書講座の会員さんで希望する方はだれでも参加できます。

 上級者編と言いますが、とりあえずお気軽に来てみて下さい。

 

  もっと詳しく書きたいのですが、お腹を4日前に壊してから回復しないので

 今日はこの辺で。

12月度古文書講座(12月3日)

  令和4年度古文書講座も折り返し地点を過ぎました。

 コロナ禍にも関わらず、ほとんどの方が参加頂いており、有難いです。

 

  現在は昨年出来なかったところをしています。

 テキストの西條誌は読みやすい反面、所々読めない文字が出てきますので

 勉強にはちょうど良いです。全然読めないと面白くないし、読め過ぎたら

 反対につまらないのでバランスが絶妙ですね。

 

 いよいよ今年最後の古文書講座です。あげあげで行きましょう!

勝瑞城行きました。

  ちょっと徳島に居る娘の様子を見に行きましたが、その後藍住町にある

 ショッピングモールに妻子が行くと仰る。藍住町と言えば中世最大の都市で

 細川氏・三好氏の城下町です。なら勝瑞城行かんとどうしますか。

 内心を言えば、前の日恐らく藍住町行くだろう。行くなら勝瑞城じゃワクワク

 と考えていたとは怖くて奥様には言ってません。

 

  実は15年前にも行ったことがあるのですが、今回は勝瑞城館跡を見ることが

 主でした。館跡の発掘が行われその遺物が発掘事務所の2階にあることで

 見てきました。まず発掘した場所が広い!すでに発掘した場所は埋め戻しして

 いるので、所々にある説明板が無いとただの広場としか見えません。

 堀跡の痕跡を残したり、能舞台を設けてハレの場を表していますが、やはり

 パッと見ではよく分からないので、今後は湯築城のような展示方法なども

 模索しているかもしれませんね。

勝瑞城館跡

  続いて勝瑞城主郭(本丸)部です。平地にも関わらず堀跡がきれいに残って

 います。中心部は見性寺と言うお寺になっていますが、ここには三好氏の供養塔と

 呼ばれる物があります。恐らく移動させてきたのではないかと思います。

 主郭の一部には土塁も残っていますが、中世四国随一の規模を誇った主郭にしては

 狭いので、館を含めて総構えとなっていたのではないでしょうか。

  この勝瑞城ですが、コロナウイルス前に史談会で見学に行く計画がされており

 バスの手配まで進んでいました。いつかは実施したいと思います。

勝瑞城水堀(右側が主郭部)

 

これも神社?

  先日うろうろと原付で通ったことがない道を進んでいたところ、通り過ぎる

 時右手に小さい鳥居が!

 行き過ぎたので原付でUターン。鳥居のよこは外山自治会館とあります。

 鳥居の奥は一見するとただの平屋の建物。何も看板がありません。

 これ神社?

 

  鳥居には風化していますが、建立した人の名前が数人見えます。

 山内と彫られているようです。上泉川村庄屋山内氏?かとも思いますが

 拓本でも採らないとわかりません。後日採りたいと思います。

 (帰ったあと、住宅地図見ると神社マーク。やはり神社です。注釈西條誌の

 浦戸明神の境外社の「外山明神」とあります。これか?近所の人に聞いてみます)

 

  いやいや、まだまだ新居浜市内には何があるのかわかりませんね。

 因みにこの神社を後に、庄内村庄屋の岡松家墓地と片手薬師堂に行ってきました。

 嫌いなヘビや蜂も居なさそうで安心です。

 

みはら歴史と観光の会が来ました②

  前回に引き続き、11月3日に天正の陣史跡研修旅行に来られた

 「みはら歴史と観光の会(以下レキカン)」さん訪問記です。

 

  慈眼寺での見学を終えた後、西条市の飲食店で昼食を取り、予定時刻に

 出発。途中西條陣屋跡をゆっくりと通過し、車窓からの見学でした。

 その後バスは保国寺へ。途中の道が狭いので心配していましたが、流石

 そこはプロです。

  保国寺ではお寺のご厚意で本堂から四国で一番古い庭園を拝観(コロナ

 ウイルス流行以降は拝観中止しているそうですが、中野副会長が独自の下見で

 ご住職とお話しており、その御かげがありました。)

 本堂横にある伝高峠城主「石川備中守通清」の供養塔も見学。

 その後保国寺を後に徒歩で伊曾乃神社へ。新居郡の一の宮を参拝し、さらに

 徒歩で土居構えへ。

  土居構えでは石積みや土塁を見て頂きました。そしてバスに乗り、最後の

 史跡「千人塚公園」へ。

 バスはJA東予芸西支部のご厚意で駐車場に停めさせて頂きました。

 そこから歩いて約10分。途中にあるお塚さんの説明などをしているとあっと

 いう間に千人塚公園です。ここでは昔の三原市長など有志が建てた供養塔など

 を見学し、上田会長の般若心経による供養を行いました。

 その後岩佐会員による野々市原合戦の説明を資料を用いて行いました。

岩佐会員による野々市原合戦説明

 最後にレキカンからのお礼挨拶と中野副会長からの答礼があり、

 こうして無事全ての行程は終了しました。

 JAでお互い手を振りながらお別れしましたが、今後も交流が続けばいいですね。

 

晴れ渡る3日にみはら歴史と観光の会が来られました。①

  11月3日文化の日三原市より「みはら歴史と観光の会」(以下レキカン)の方

 28名が、新居浜に来られました。

 新型コロナウイルスで実施出来なかった研修旅行の目的地として、「天正の陣」を

 テーマとしての研修でした。

 

  朝7時半ころに三原市を出発され、新居浜には計画通り10時に到着されました。

 史談会の会員は9時半に集合しましたが、それまでに吉本会長は神職との打ち合わせ

 を数回、中野副会長は案内順路の確認や訪問先への挨拶を重ねていました。

  まずは宗像神社に参拝後、参集殿に上がってもらい、副会長の司会により吉本会長

 より歓迎の挨拶(会長の父親が三原市出身・奥さんが金子氏の戦奉行子孫で恩讐を超

 えてとの上手な引き込まれる冒頭挨拶は私には真似できません)・レキカンの上田(かみだ)会長から訪問の挨拶、合田宮司の挨拶後吉本会長よりミニ講演を実施しまし

 た。天正の陣を30分ほどで解説出来ませんので簡潔な物でしたが、カラーの資料で

 分かりやすくお話しました。

  その後丸金幹事より「金子元宅佩刀の説明」本来は実物をお見せしたいのですが

 銃刀法違反になりますので、パネルで激闘の跡がのこることをお話しました。

吉本会長のミニ講演

  その後はバスに乗って滝の宮公園に向かいました。眞木事務局長から滝の宮口合戦

 石碑(史談会が設置)や天正の陣を詠んだ句碑紹介。

 歩いて別子銅山鉄道跡を散歩しながら慈眼寺へ(天正の陣で討ち死にした丹民部の

 子孫が歴史会から来られていることを聞いてびっくり)

  慈眼寺では大隆住職のご厚意で本堂にあがり、面白い語り口で慈眼寺の歴史や

 本堂に残る明智家子孫が寄付した桔梗紋の欄間を説明頂きました。

 その後本堂裏にある金子元宅と真鍋6人衆供養塔にお参りしました。ここには

 三原市の方が建てた卒塔婆もあります。

金子元宅と真鍋6人衆墓所にお参り

  山門階段で大隆住職を交えての記念撮影後、慈眼寺を後に西条市へ移動し昼食

 をとりました。

 続きは②で書きますね。